関聖帝君
主神 関聖帝君
関聖帝君(関羽様)は西暦160年、河東郡解良県常平村(現・山西省解県)にて 旧暦の6月24日 に生まれたと言われています。幼少の頃から祖父、関審に手ほどきを受けて『易経』と『春秋』を学び、これらの書を常に愛読していたそうです。
18歳のとき、関羽様は誤って豪族の一人を殺害してしまい、涿郡に逃げました。そこで関羽様は劉備・張飛という武将仲間と出会い、深い絆で結ばれ、義兄弟の契りを交わします。3人の武将はそれぞれ、劉備が長兄、関羽様が次兄、張飛が末弟と決めました。桃園にて彼らは、国を平定し、死ぬまで国のために尽くすことを誓ったのです。
後漢王朝の滅亡後、3人の武将は蜀を建国し、劉備をその領主とすることを志しました。関羽様と張飛の献身的な支えにより皇帝となった劉備は、蜀の国の基盤を強固にゆるぎないものとしました。
西暦219年に関羽様は関平とともに曹操と孫権の連合軍に捕らえられ、58歳で処刑されました。蜀と劉備一族は関羽様の忠義と貢献を称え感謝する廟を建立し、その後も数多くの王朝がそれに従いました。
優れた将軍であるだけでなく、関聖帝君は古代中国で広く使われた算盤の発明者でもありました。中国の商人や実業家は、関聖帝君が責務を果たす上で示した洞察力や誠実さを非常に大切にしました。弱い立場の人々の忠実な味方でもあった将軍は、関聖帝君として崇拝されるようになりました。中国全土や世界中に何千もの関帝廟が建てられています。今日、関聖帝君は一般的に商売繁盛と富の繁栄をもたらす神として崇められています。
(三国志の一場面)